chakraの店主はこうやって生まれた【飲食を目指す全ての人へ】
はいどうも、カリーチャクラです。今回のテーマは私についてです。
私について?なんじゃそりゃ?
と思われた方の多いかもしれませんが、今回は私が産まれてから飲食店で働くまでの話や働いてみての率直な感想なんかを書いて行こうと思います。
今後飲食店を目指したい!なんて正当な夢のある方や、昔の私のように仕事が嫌でやめちゃったけど今後どうやって生きて行こう~?なんて迷える子羊になっている方の参考になれれば幸いです。
お伝えするのはいつもの私。仕事に疲れてサラリーマン退職から30代に飲食店での独立、現在南インド料理を作る現役料理人chakra店主のヒロシです。それでは始めましょう~ Let’s Spice!
■幼少期の店主はこんなひねくれた育ち方をした
そりゃ~私だって人の子でして、いきなりここにポンとある訳ではなく両親がいます。
私の生まれは山口県で両親もこれまた同じ山口県生まれ。山口県生まれなんて言っていますが、そんな大きい範囲でさえもなく、昔で言う所(平成の大合併前)の長門大津地方現在の長門市で生まれ育った両親から長門市で生まれたこの私。まあ要はとにかく高校卒業18歳まで山口県の片田舎で過ごしたのです。
田舎田舎って言ったってどんだけ田舎だっんだよ?って思われるかもしれませんが、マジで田舎です。
通学路にはウマが通り馬糞は落ちてるし、牛の数が人口を上回り牛が脱走して車と事故る。人間なんかよりニワトリが多いのなんて言わずもがなで、私が小学校から帰る途中に近所のババアがトップレスでニワトリの首を絞めていたレベル。今思えばあのババアは私ら小学生に弱肉強食と性教育を教えていたんだなと。
そんな田舎で生まれ育った私は、そんな中でも特に貧乏だったのかな~。3つ上の兄がやっていた新聞配達を小学5年生で引き継いでやる事となる。それ以来中学生まで新聞配達、高校では時間の都合上新聞配達が出来ず夏休みなんかを利用して工事現場でのアルバイト。これが当たり前だと思っていたけど同級生に聞いたらそんな事は無いと笑われた。そうか~知らないって怖い。
でもそんな中、私を大学まで行かせてくれた両親には感謝ですな。大学まで行かせたから貧乏だったんじゃね~のっても思うけど、まあその辺は置いといて。
もちろん大学生でも生活は厳しく、大学入学と共にバイト開始。
居酒屋だったんだけど今思えばこれが私の飲食店スタートだったな。この時の仲間は30年たった今でもたまに連絡を取ったりしていて私の宝物。学生時代からの幼馴染って言えばこの人たちが最後になるんだろうな。
■社会に出てからもすさんでいる
その後大学を卒業してサラリーマンになるんですが、これはこれで楽しい職場だったんです。東京で就職して愛知県で研修を受けて転勤で大阪へと日本の主要都市を会社のお金で経験させてもらったのはホントに感謝です。
でもなんか先が見えたって言うか。仕事にも慣れて会社にも貢献が出来るようになった4年目くらいだったかな?結構大きな仕事を取れるようになってきたんだけど、なんかいまいち楽しくない。これやりたい!なんて思ってもやる事が決まっていたって言うか。あ~俺ってばこれず~っと続けなきゃいけないんだ~って思ったらなんか急に嫌になっちゃって。いちど嫌だな~って思ったらもうそれがグルグルしちゃって螺旋を描きながらどんどん大きくなるの。結果転勤を言われたタイミングに拒否って感じで会社を辞めた。
会社は辞めて好きな事が出来る!って事にはなるんだけど、バイクの大型免許取ったら他にやる事なくなっちゃって。大学時代を過ごした福岡になんとなく帰ってきて友達の家での居候生活がスタートする。
今考えたらこの時は超楽しかったな~。仕事からは解放され、金はないが貧乏には慣れているからキャベツ一玉買ってきて朝からず~っとキャベツ食って過ごしてた。家賃も友達が払うから私の一日の生活費は100円くらい?日本とは思えないよね。
まあでもさ~。ワンルームにず~っとキャベツ食ってる居候がいたらそら嫌になるよね。ボチボチ出てってくんない?って言われて。
いくらキャベツで生活して生活費は最小限だとしても、家賃払う金まではなし。香椎の海っぺた東浜にテント張ってキャベツ食いながら暮らすことになる。毎日波の音を聞きながら福岡ドーム見ながら寝てたからある意味贅沢な時間。でもこれって傍から見たら完全に浮浪者だよね。
さすがに仕事見つけなきゃ!ってのでアルバイトあっせん本をコンビニでもらってきて働いたのがレストランバー。むかし居酒屋で働いていた経験もあったし、まかないつきってのが最高!って思って。そして何よりこれで家が借りられる。浮浪者から貧乏人に昇格した瞬間だった。
■飲食業にどっぷりと現在に至る
そんな感じで27歳から再び飲食業に入った私。
若いつもりではいたんだけど大学生のバイトよりも下の新人からスタート。まあ当たり前っちゃ当たり前。
そんな中思い出すのは18歳から始めた居酒屋時代。3年くらいは働いていたので後輩なんかも出来ていた。今思い出せば年上の後輩もいたな~。あ~、あの頃と全く逆なんだね。年下に使われるって精神上よろしくないね。バイト時代の年上の後輩さん!あの時はこき使ってごめんなさいね。
でもさ~、じゃあどうする?なんて考えても今さらどうする事も出来ない。再び浮浪者になるのもちょっと嫌だな~って思ったので、嫌だけど今の仕事をひたすらやるしかないよなって思う。
でもどうせ嫌な事するなら人がいやがる仕事まで率先してやってやろうと思い実践。今思い返してもこの時代が一番前向きに働いていた気がする。
そんなしながら2年位経った頃。いつまでも下っ端の私を不憫に思われたのか別のお店よりお声がかかり、バーで4年間店長としてお店を任される。
そのバーでの経験を活かし、いまの店の場所でタコスバーとして独立。屋号はエルフラミンゴ。
このお店開店初日に料理人に飛ばれたりしながらも4年間の店長時代のお客様がいてくれたのでお店はなんとかかんとか10年続き、ボチボチ新しい事がしたいとタコスバーからカレー屋に業態変更。これが今のうちの店chakraですね。
■飲食店に興味がある全ての人へ
ざっとこんな感じで今までの流れを書いては来ましたが、もちろんこの間いろんなことがありました。お客さんにだまされたり、探偵ナイトスクープに出たり。まあこの辺はまた機会があったら紹介しますがとにかく現在まで飲食店を続けていると、お客さんからよく相談を受けます。
飲食業を始めたいのですがどうしたらいいですか?的な事。答えはね~、そんな事分かるわけないやん~です。
人にはそれぞれ合う合わないがありますし、ここまで書いてきたように、私という一人の人間でさえ居酒屋、レストランバー、バー、タコスバー、カレー屋とかなりの業態変更をしています。自分の事すらよく分かってないのに他人の事なんてなおさらです。
まあただ一つこれだけは言えるのですが、自分で考えて何かに挑戦したりすることが好きな人にとって商売は楽しいです。会社員時代もバイト時代も自分の思い通りになる事なんてほんの一握り。これが全て自分の思い通りに出来る自由さは最高です。
しかも雇い主にお金を搾取される事もなく、やったらやっただけ自分の物になる。こんないい話はないですよね?
もちろん良い事だけではないです。良い事もあれば悪い事も自分に跳ね返ってきます。むしろ悪い事の方が多いかもですね。そうです。リスクが高いのは間違いないです。店を閉じた友人も沢山います。
そんなこんなをひっくるめて考えた結果。挑戦したい!って思われた方にはやっぱり成功して欲しい。やって良かったと思って欲しい。特にこんな私の駄文にお付き合い頂いているあなたにはなおさらです。
私も良い事や悪い事、ま~いろいろと遠回りをして現在に至っております。
なので、新たに挑戦しようと思われている皆さんがなるべく失敗しないよう、私が今まで失敗から学んだ知識や経験は全てうちのページにまとめて行こうと思います。
カレー屋始めたい!って方はうちのレシピまで載せているのでどうぞパクって商売して下さい。
通販で物を売りたい!って方は通販の始め方のノウハウも今後書いて行こうと思います。
その他商売のコツやメディアが飛びつく裏技、はたまたお客さんの利用方法なんてダークな所まで?うちのページが商売を始めたいという方の何らかの参考になれば幸いです。
皆様の健康のためご家庭にもっともっとスパイスを
チャクラ 小川
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